開院の頃の思い出

icon 元医学部 東洋医学診療センター 講師 片岡 晃哉icon 

  昭和62年当時、私は大阪医大麻酔科外来(ペインクリニック)で外来・病棟医長をしていました。大阪医大ペインクリニックでは当時より故兵頭正義教授の下で神経ブロックのみならず鍼灸や漢方薬による診療を行っていました。しかし、当時私は心身医学的治療やリハビリテーションがもっと必要であると考えていました。そこへ藤田学園よりリハビリテーション病院の開院につきスタッフの依頼があり、兵頭先生よりお話がありました。
私は良い機会と考え、七栗サナトリウムにお世話になる事をきめました。
 開院の日に初めてスタッフの方々とお会いしましたが、第一印象がとても好く皆さん素敵な人たちばかりでした。森院長、内科の中野幹先生が同窓というのも心強く感じました。特に驚いたのが外科の野垣先生でした。自分自身を見ているのではないかと思うくらい容姿も話す雰囲気まで似ていました。案の定、仕事が始まってみると患者さんは元よりスタッフまでが間違えて話しかけてくることがしばしばありました。初めのうちは「私は違います」と説明していましたが、そのうちに患者さんから「この間は手術ありがとございました」と言われ、野垣先生の患者さんだなと思いながら「どういたしまして。良かったですね」なんて答えるようになっていました。野垣先生も同じような経験をされていたようです。また、リハビリテーション科の土肥教授には仕事に関して特にお世話になりました。外来診療が隣同士だったこともあり、コミュニケーションがとてもとりやすく、気安く相談や依頼をさせて頂くことができました。ペインクリニックにおける診療としては、脳卒中後の肩手症候群や脊損による麻痺の痛み等、リハビリテーションをしないと取れない病態がとてもスムーズに行なえることを実感しました。幸い患者数もどんどん増え、それに伴い診療開始時間も次第に早まり午前7時過ぎには診療を開始することになり、スタッフの皆さんにはとても迷惑をかけたと思います。ペインクリニックをやっていると痛みの患者さんを1時間も待たせたらその段階で仕事の半分は失敗という意識をずっと持っていたためですが、当科のスタッフのみならず事務のスタッフも早く出勤して対応していただき今でもよくやってくれたなと感謝しています。仕事を離れたらよく遊びました。宴会,ゴルフ大会,パターゴルフ大会等いつも何かやっているような感じでした。プライベートでも土肥先生や営繕の森山さんらとよくゴルフに行かせてもらいました。土肥先生はシングルなので実力で負け、森山さんには口で負けました。その後、私の麻酔科での師である兵頭教授が教授在任中に亡くなられ、私も七栗を去る決心をしなければならないときが来ました。私の医師としての人生の中で一番生きのいいときを七栗で過ごさせて頂き、かつとても楽しく良い仕事をさせて頂き、沢山の素敵な人達とめぐり合えたことにとても感謝しています。
七栗には素敵な思い出、愛着があります。たまには七栗で同窓会やゴルフ大会に参加したいものです。

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