七栗の思い出…

icon 元リハビリテーション部 佐野 忍 icon 

 開設25周年、本当におめでとうございます。私は七栗で最初の理学療法士として赴任させて頂いたのですが、開設時期に微力ながら関わることが出来たことを嬉しく思うとともに心より感謝いたします。とはいうものの、私は藤田学園の職員ではなく、当時は名古屋市南区にあります大同病院のリハビリテーション科スタッフでした。ある日、皿井名誉院長(故)に呼ばれ、『藤田学園が三重県にサナトリウムを開設した。そこに一年間出向して勤務して欲しいのだがどうか?』と言われました。当時24歳だった私は、よく分からないままに『は、はい!』と返事をし、私の七栗行きはこの時決まりました。そして数日間の慌ただしい引っ越し準備の後 、七栗での勤務が始まりました。             
 七栗に着いてみると、もちろん職員の方々のことは誰一人として知らないのですが、皆さんとてもフレンドリーで親切な方ばかりだったので、比較的短期間で打ち解けることが出来たように思います。着任当初は、例えば患者様用の枕が無かったり、あるいは掃除道具が無かったりで、またリハビリ訓練も物理療法の実施も私一人で行なっていたので、内線電話にも出られなかったりなど、何かと不便なことが多かったのですが、職員の皆さんに助けて頂いたり、そして、夏頃からは第一教育病院の理学療法士と作業療法士の方が二人で七栗に一ヶ月交代で泊まり込んで下さるようにもなったため(宿泊場所は未使用の病室でした)、ご迷惑をお掛けしながらも何とか業務をこなすことが出来ました。どうもありがとうございました。                 
 またリハビリテーション科教授の土肥先生には、公私共に大変お世話になりました。先生にはリハビリテーション全般のことや学問的なこと、そして酒の飲み方に至るまで実に多くのことを教えて頂きました。そしてエネルギッシュでバイタリティにあふれ、人情味豊かな人柄にも強く惹かれました。土肥先生には感謝の気持ちで一杯です。この場をお借りして深く深くお礼を申し上げます。 赴任時の予定通り、翌年の3月で(残念ながら…)私は七栗を離れて名古屋に戻りました。七栗の一年間は色々と大変だった反面楽しいことも沢山あり、その思い出は私の宝物となっています。 今後も30周年、40周年と歴史を重ね、七栗サナトリウムが益々ご発展なさいますことを祈念いたします。

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