七栗サナトリウム25周年に寄せて

icon 元病院長 渡邊 正 icon

 25周年おめでとうございます。私は平成3年から平成15年までの12年間在職し、その間平成7年より病院長を勤めました。現在、リハビリ、緩和ケアに加え、栄養サポート、認知症などにも取り組みを広げられ、益々発展されていることを知り大変喜んでいます。私にとって、七栗サナトリウムでの生活はかけがえのない貴重な経験でしたので、ともに楽しく働いた多くの仲間の顔が今も目の前に印象深く浮かんできます。
さて、入職前に森病院長先生にお会いした後、車窓から黄金色に輝く稲穂が広がる風景を見ながら、このような自然が豊かで人の少ない場所で、外科医として何ができるのだろうかと自問しながら帰路に着きました。自然の豊かさといえば、病棟の忘年会のとき、降りしきる雪の中を少し山に入った料理屋に着くと、丸々太った狸がどっと押し寄せてきたのにはびっくりしました。また院長宅に大きな蛇が迷い込み、風呂場でのたくっているのを見て足のすくむ思いを経験しました。しかし仕事を始めてすぐに、ホスピス、リハビリ、慢性期疾患の専門病院であり、まさにこれから始まろうとしている少子高齢化社会に照準を合わせた教育病院であることが分かり、藤田学園の先見性に感銘を受け、腰を下ろしてがんばってみたいと思いました。そして森病院長から「渡辺君、ホスピスをやりませんか」と言われとき、母の胃がんの際、痛みのコントロールもできず大変苦しめた反省から即座に承諾し、それから外科医として、また緩和ケア医としての仕事が始まりました。岸本先生と細野先生の3名という小医局でしたが、仕事も余暇も楽しいものでした。ホスピス病棟は、橋本師長のもとに心のこもったケアができていましたが、私自身の勉強不足は覆いがたく、米国緩和医療学会や英国での研修などに参加し、ホスピス・緩和ケアのあり方を学びました。
 私が院長時代、川が下流へ流れるように患者さんも流れるので、下流から上流に上がってくる患者さんは少ないと言われ、実際、診療実績を上げることの難しさを感じていました。そこでケアの専門病院としての特徴をしっかり生かすことに取り組み、まず緩和ケア病棟を東海3県および大学病院として初めての認可施設とし、つぎに病棟の一部を療養型病棟に、さらにデイケアを開設しました。また手狭になった本館のリハビリ訓練室を移動して新たに回復期リハビリテーション病棟を作る事業にも参加しました。これらの事業は、多くの諸先生や病院の発展にいつも心を砕いている職員の提案や働き、さらに理事会のご理解がなければできなかったことであり、特にケア型の病院運営に慣れない私にとって貴重な支えとなり感謝しています。また職員の交流を図ろうと、屋台を出したり(花火も豪華でした)、バーべキュウをしたり、大阪まで吉本興業へ行ったりと、いろいろな企画に参加したことも楽しい思い出になっています。
 最後に自然の豊かさの例をあと一つ紹介します。以前から猿がいることは聞いていましたが、在職期間中見たことはありませんでした。私の退職日に、車に荷物を積んでいよいよサナトリウムを後にしようとすると、宿舎の前庭からごそごそと音が聞こえます。不思議に思って近づくと、猿が木の実を食べているのが見えました。これはきっと猿が、私が「去る」ときになって見送りに来てくれたのだと思いながら病院を後にしました。
さて、わが国の超高齢化が現実のものとなり、七栗サナトリウムの教育病院としての役割は益々大きくなってきています。院長先生はじめ職員の皆さんのご活躍を心から期待しますとともに、ともに働いた医師や仲間の名前は限られた紙面のため失礼を致しますが、記念誌の場をお借りして皆さんに感謝申し上げます。

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