<着床前診断について> 着床前診断についてのシンポジウムが開催されました(遺伝カウンセリング学会にて)
 
 

 去る5月25日から27日にかけて、第31回遺伝カウンセリング学会の学術集会(学会)が東京医科大学病院にて開催されました。今回は着床前診断についてのシンポジウムがありました。産科医、小児科医、患者会(日本筋ジストロフィー協会)、エンブリオロジスト(卵と精子を受精させたり、育てたりする職種)、臨床心理士、宗教家と多方面の立場からシンポジストが選ばれ、着床前診断について意見が交換されました。


まず、シンポジウムの話の前に、日本における「着床前診断」に関する見解を産婦人科学会が出していますので簡単にまとめておきます。

1.まだ臨床研究の段階である(危険性、確実性等が解っていない面もある。)

2.実施する医師は、生殖医学、遺伝性疾患に高い知識、技術をもっており、出生前診断の経験が豊富であること。

3.実施する医療機関は、生殖医療(体外受精、胚移植)による分娩例があり、出生前診断に関して実績があること。遺伝子診断技術に関して実績があること。

4.重篤な遺伝性疾患であること。日本産婦人科学会で、申請された疾患ごとに審査される。

5.各医療機関の倫理委員会の許可を得てから、産婦人科学会に申請し、許可をえる。実施後は、結果等を報告する。

6.夫婦ともに、強い希望があり合意が得られた場合に認められる。書面にて、概要、予測される成績、安全性、出生前診断との異同に関して、説明をし、同意を得ること。プライバシーを厳守すること。


生殖医療技術が無秩序に実施されないように、この見解はガイドラインとして出されています。


次に、最近、産婦人科学会で承認された染色体転座保因者の着床前診断について簡単にまとめます。

1.習慣性流産(3回以上流産を繰り返す)や反復性(2回流産)の染色体転座保因者に適応。

2.前述1、2、3、同様。 医療機関の資格要件をみたすこと。さらに、生殖医療に熟知し、遺伝学的診断ができるものがおり、検査法に関しても確立していること。

3.十分な説明をするとともに、遺伝カウンセリングを実施すること。

4.検査法について。

5.手続きは前述5同様


今回、シンポジウムで発信されたことは。

1.着床前診断の問題点

 着床前診断は、精神的、肉体的に苦痛を伴う人工妊娠中絶や流産をさけるといった意味では有用であるが、反面、長期的にみた安全性技術的な問題適応疾患について胚の選別4.倫理的におこなってもいいのか?で触れます)といった問題がまだ残っています。これらの問題をひとつひとつみていきます。


<安全性>

 体外受精をするために、卵巣から卵を取り出します。そのために、まず、卵を卵巣内で発育させるホルモン注射をしますが、卵巣が腫れたり、副作用が出ることがあります。そして、卵巣に針をさして発育した卵を採取するため(採卵)、女性にリスクのある行為です。


<生殖医療技術の問題>

1. 着床前診断は、採卵した卵と精子を受精させて試験管の中で、数日間培養して、分裂させ、その一部の細胞を取って検査を行います。結果が出るまで、受精卵は培養しておき、診断後、病気になる遺伝子(染色体)をもっていない受精卵を子宮に戻します(胚移植)。受精卵は生体内とは違った環境で育てられるために、生まれた赤ちゃんにプラダーウィリー症候群やアンジェルマン症候群といったインプリンティング(刷り込み)による疾患が現れるリスクが増加するというデータもあります。


2. 原因ははっきりしていませんが、生殖補助医療により、一絨毛膜性二卵性双胎児(胎盤を共有する2卵性双生児)ができることが懸念されています。一絨毛膜性二卵性双胎児になると、赤ちゃんに均等に血液が送られず、血液量が不足すると発育が悪くなったり、多すぎると心臓に負担がかかる心配があるので、妊娠経過を慎重にみていくことが必要となります。


3. 受精卵を子宮に戻す数が問題になっています。1つの卵を子宮に戻しても、上手く育ってくれないことがあるために、以前は複数の受精卵を戻していました。複数の受精卵が育った場合、多胎(双子以上の妊娠)となり、妊娠合併症、早産、低体重児となる可能性が高くなります。また経済的理由からも、一部の胎児を排除する減数手術を行っていました。現在では1つか2つの卵を子宮に戻すようになってきましたが、施設によっては、まだ複数個戻している場合があるようです。


<適応疾患>

 重篤な遺伝性疾患とは、どういう基準なのでしょうか。現在では、成人に達するまでに、日常生活が危ぶまれる強い症状がでる、もしくは生きられない ということが、基準のひとつになっているようですが、長生きしても、意識がなく、一生寝たきりとなる疾患は重篤ではないのかといった質問もありました。


2着床前診断は本当に有用なのか?

自然妊娠着床前診断胚移植による妊娠の比較が出されました。

 日本の産婦人科医の先生が調べたデータだと、流産を繰り返した後に、ご夫婦のどちらかが染色体転座保因者と判明して、その後の初回の自然妊娠で、30%のかたがお子さんをえられました。海外の着床前診断胚移植による妊娠のデータでは、初回の胚移植を経て、30%のかたがお子さんをえられました。

 そして、もう少し長期間妊娠の観察をおこなって、累積妊娠成功率で比較すると、習慣性流産の染色体転座保因者では自然妊娠では70%のかたが、平均1.3回のさらなる流産を経験して、23ヶ月後に健児をえられたようです。ヨーロッパヒト生殖学会(ESHRE PGD Consortium)のデータによる着床前診断胚移植による妊娠では、着床前診断胚移植を3.8回行うと70%のかたが、生児を得られるようです。データは観察基準が違うので、単純には比較が難しいようですが、児を得られるまでにかかる期間は、自然妊娠、着床前診断後の妊娠でもそんなに変わらないのではないか、むしろ着床前診断の承認を待つ期間を考えたら、自然妊娠のほうが、早いのではないかというお話でした。


3.日本で実際には、どれだけの着床前診断がおこなわれているのか?

  日本で現在、日本産婦人科学会から承認された施設は5カ所(加藤レディースクリニック、慶応義塾大学病院、名古屋市立大学病院、IVF大阪クリニック、セントマザー産婦人科医院)。今までに審査により認可されたのは、筋ジストロフィーなども含めて、24例(2007年2月現在)であり、着床前診断を行って、出生した子供は2人です(筋ジストロフィー)。そのうち、習慣性流産による着床前診断が、18例認可されており、先日、妊娠まで至っている例があることが発表されました(6月28日付けasahi.com)。着床前診断をして、妊娠するまでにかかる費用は施設にもよりますが、350万円から450万円です。

 

4.倫理的におこなってもいいのか?

  倫理的・社会的問題が山積みです。人が受精卵を操作していいのか、優性思想の一環ではないか、いのちの価値づけ・選別をしていいのか。着床前診断について日本産婦人科学会で、意見をつのっていました。では、患者及び家族の立場からしたらどうでしょうか。今回、日本筋ジストロフィー協会 で出生前診断についておこなったアンケートについての結果が発表されました。出生前診断の賛否を、患者と家族に向けて尋ねたところ、家族では42%が賛成、12.6%が反対、約40%がわからないと答え、患者では38%が賛成、16.9%が反対、39.9%がわからないとの回答を得ました(2004)。協会としては賛成もしくは反対のどちらの立場でもありませんでした。

 また、現在の一般の生殖医療の現場において、受精卵の形態によって良い胚を選ぶという「選別」をすでに日常的に行っているのです。


5.着床前診断による染色体検査は正確なのか?

 着床前診断は、高度先端医療技術の急速な発達により、可能になった技術です。着床前診断はどのようにされているのでしょうか。1つの受精卵が数回の細胞分裂を繰り返した後に穴を開けて、分裂した細胞のうちの1つの細胞を取り出して検査をします。この細胞を1つ取り出す技術に関しては、99%上手くいくようです。その後の検査には、染色体転座の場合、FISHという方法を使います。その検査の正確性は約70-80%で転座の種類によって検査精度が変わります。今後も正確性を高めるための基礎研究が必要となります。また100%の正確性を期待するには、結局、羊水検査等による、出生前診断での確認が必要となります。


6.カウンセリングの必要性

 着床前診断には、排卵誘発、採卵、胚移植、黄体機能支持などといった、母体へ負担のある治療、技術が含まれ、副作用、合併症もともないます。いいことばかりではなく、うまくいかなかった場合のことや、また上に挙げてきたような数々の問題を理解した上で行われなければなりません。また、利益相反の観点から、着床前診断を受ける施設以外の、第3者による遺伝カウンセリングが行われるのがよいでしょう。


7.会場内からのコメント

不妊クリニックに通う転座保因者の方は、着床前診断を望んでいる人が、多いが、まだ安全性、正確性、技術などによることはわかっていないので、望む人がいるから、何でもするというのは、どうであろうか。

・承認されていない施設でも着床前診断がされているが、うまくいっているケースのみがとりあげられていて、実際はすべてがうまくいっているわけではない。何度、着床前診断胚移植をしてもうまくいかず、遺伝カウンセリングにかけこんでくることもある。

・「着床前診断」→「着床前スクリーニング」になってくる恐れ(欧米ではすでに、高齢出産などに適応が広がってきている)。

1週間から2週間は毎日、通院しなければならない大変さを知らない人が多い。

・出生前に比べて、「決断」という問題から解放される、といわれているが、受精卵を1つ移植するのか、2つにするのかなどを、短期間に決めねばならない、など、結局、同様の「決断」を必要とする場合がある。


私たちの見解

 染色体転座保因者のご夫婦が、着床前診断をすることに対しては、私達は一言で「賛成」とかでも「反対」とか言える問題ではでもありません。それは、上記したようなさまざまな問題に対して、一貫した明確な答えを出すことができないからです。個人個人のおかれた状況や考えかたに応じて、良い点、悪い点、さらには反対者の意見などを総合的に判断したときに、答えがでるものだと思うからです。

  今回のシンポジウムで感じたことは、実際に前述のような数々の問題を乗り越えたとしても、着床前診断は、まだ、一般化されておらず、試行錯誤の中で行っている臨床研究の段階です。つまり現時点では、着床前診断をすれば、安全に、必ず健康なお子さんがもうけられるといった、夢のような技術ではないようです。もちろん、科学や医療は日々進歩していますので、今後の動向を見据える必要があると思います。


2007年7月3日火曜日