第1回 Korean-Japanese Joint Conference on Rehabilitation Medicine 2002

学会顛末記

4月19日夕方に皆揃ってHotel Hyundai Gyeongjuに到着した。釜山から乗ったハイヤーの運転手が古墳に寄ってくれた。Hotelは人工的に広げた湖のほとりにあり、保養地の中であった。

夜のWelcome receptionはドラの音から始まり、挨拶もなく、いきなり皆がバイキングを食べ始めて驚いた。キムチはしっかりと味がして、その他豪華なメニューであった。

4月20日は9時よりOpening ceremonyがあり、その後、日韓の過去と未来、脳卒中のリハの招待講演が続いた。午後の最初は脊髄損傷・脳性麻痺・慢性関節リウマチの招待講演で、その後、午後4時よりフリーペーパーが始まった。日本からの参加者は140名を数え、全体の演題数も200を越えていた。今回が海外初デビューとなる花村、長江、藤井、永井には緊張が走っていた。その割には昼休みを利用して陶芸の村まで買い物に行ったメンバーもいたが。

フリーペーパーの脳卒中では、韓国からfunctional MRIなど、脳機能マッピングが多数出され、先端の研究が披露された。日韓双方とも、演者が英語で立ち往生する場面が多く、やはり、英語の学習は必須と痛感させられた。藤田リハ部門はオーラル5名全員なんとか切り抜けた。ポスター2名は立っているタイミングが今ひとつ掴めなかったようである。

夜はディナーのあと、ステージで韓国の伝統芸能が演じられた。OnNuri Korean Folktroupeは頭につけた長いテープを振り回しての熱演であった。Buchaechumは扇の舞であり、Sound of thousand yearsは熱烈な打楽器の競演であった。こちらもリズムを体中で取っており、そのうち頚椎症になるのではないかと心配になるほどであった。

次回は2004年に京都で、また2006年は再び韓国での開催となる。

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2002.4.22 Shigeru S