(特別企画)




   
   出展:辻岡勝美
   内容:1980年に辻岡勝美先生がカンボジアの難民キャンプ地で
      診療放射線技師として活動したレポートです。


 ある日の昼休み、藤田保健衛生大学病院放射線部の技師室で・・・・

  技師長「誰か、ベトナムの難民キャンプに行きたいものはおらんか?返事は今日中!」
  技師A「難民キャンプですか〜。ボク行きますよ〜。ところでいつからですか〜?」
  技師長「来週から!本隊はもう先に行っとる!」
  技師A「エーッ!一人で行くんですか?」
  技師長「そう一人。がんばってくれ!」

 次の日

  技師長「昨日の話、ベトナムじゃなかった。カンボジアだ!」
  技師A「カンボジアですか〜。ポルポト軍が国民を100万人虐殺したところですよ〜」
  技師長「もう行くことになっとる!」
  技師A「ええ、別にどこでもいいんですけどね。」

 次の次の日

  技師長「昨日の話、カンボジアじゃなかった。タイのカンボジア国境だ!」
  技師A「タイですか〜。でも国境はやばいんじゃないですか〜」
  技師長「もう行くことになっとる!」
  技師A「ええ、別にどこでもいいんですけどね。」

ということで技師Aは話があってから約1週間後、十分な準備もせずにタイのカンボジア国境に行くことになった。そのとき、技師Aは仕事を始めて1年半、まだまだヒヨッコの診療放射線技師だった。そのころのカンボジアってどんなとこ?うーん、いまのイラクみたいなとこかな。

 出発の前日、東京の新宿で、
  技師A「あっ!外国なんだから英語をしゃべらなくっちゃ〜。まあ、旺文社の豆単でなんとかな
  るか〜」そうして新宿の本屋で旺文社の豆単を買うのであった。

技師長から話があって1週間後、技師Aはタイのカンボジア国境に向けて旅発ちました。彼にとって始めての海外旅行、飛行機に乗ったのもこのときが初めてでした。


           
  【写真館】
    1.Japan medical center (JMC)     

 サケオ市の郊外にある我々の宿舎兼診療所です。サケオ市といっても田舎町、国道沿いにありました。夜になるとゲリラがでるという噂も。夕方から朝まで銃を持ったタイ軍が警備をしてくれます。JMCでは難民キャンプでは処理できない手術もします。X線装置は自己整流、腹部の撮影に約2秒ほどかかります。おかげタイ語、クメール語で「息を止めて」「動いちゃダメ」が大変上手になりました。術中撮影もします。重いX線管を棒の中央にぶら下げ、2人で担いで撮影です。透視を用いない(装置がない!)胃の二重造影もしました。X線装置の修理もします。あらかじめ持って行ったヒューズは全部切ってしまいました。その後は、街で買ったハンダを削ってヒューズ代わりです。すべてやる気と工夫、これらの工夫がその後に大きく役立ちました。

    2.バンケン・キャンプ        

 ここはカオイダンキャンプに比べれば少しは落ち着いたキャンプです。映画「キリングフィールド」のラストシーンでここが出たときは懐かしく感じました。ここでの医療活動は日本チームだけです。技師Aの仕事はスタッフと一緒に撮影、装置の管理などいっぱいあります。装置は得体の知れない自己整流、照射野ランプが切れたときは糸で代用しました。その後、新しい装置が入ったのですが、これが大変、部屋の設計から壁の鉛板貼り、現像の水周りなど全部しました。そして、夜ともなると泥棒が心配です。スタッフを従えて撮影室で寝ることもありました。

    3.カオイダン・キャンプ       

 ここはカンボジア国境の間近でタイ軍も緊張の場所です。時々、某国の情報収集車と見られる車両もいます。国道の林の中から戦車の大砲が見えます。遠くでは演習らしきドーンドーンという砲弾の音、「あれって本当の戦闘じゃないよね。」このキャンプには各国からの援助で数棟の病院が展開していました。さすが、難民キャンプ、病棟の屋根には大きな赤十字のシートが・・・「ここは病院だから爆撃しちゃダメよ」ってことでしょう。ここで技師Aの仕事は実際に撮影をするわけではなく、現地スタッフの技術協力でした。実際、日本の学校でも教えてもらわなかったタンク現像のコツ、救急患者の撮影方法など、現地で考え、現地で教える。非常に活動的なものでした。


    4.クラウン・プリンス・ホスピタル(サケオ市)     

 タイ東部の田舎町、サケオ市の病院です。ここにはタイ人の放射線技師もいます。一緒に検診に行ったり、撮影したり交友を深めました。当時、彼が言ったこと、「CTも欲しいが、それよりもスタビライザーが欲しい。電圧の変動がひどいから・・・・。」病院の前には水牛が放し飼いです。まあ、電気と水が来ていれば街、という感じですね。



という感じで技師Aは3ヶ月のタイ国カンボジア国境にて難民救済活動を行なってきました。この3ヶ月が彼のその後に与えた影響は計り知れません。この経験から技師Aの波乱万丈の人生が始まったのでしょう。

                                           注:技師A=辻岡でした。

 
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