研究内容

はじめに
Keywords
研究テーマ

はじめに

 私は人類や霊長類の進化に関する遺伝学を専門に訓練を受けて、その後の研究を取り巻く環境の変化にともない少しずつ研究の幅を広げてきました。現在も進化学・遺伝学の専門を活かして、医療系私大研究所にて基礎研究に従事しております。 進化の研究はすぐに医療現場や産業界に直接応用されることは少ないかもしれません。ところが加速されていく技術の進歩を考えると、遺伝子治療が現実の解決策になり、その適応範囲が広がっていくと思われます。さらには、外見や性格のような直接生存に関係しないことでも、当人にとっては切実な問題として遺伝子レベルでの改変を願うケースに直面するかもしれません。新しい技術が出てくるたびに、どの程度までの遺伝子操作ならば、副作用や社会的影響の観点で、許されることなのか考える必要が出てくるでしょう。進化は交配により遺伝子を組み替える過程ですので、進化学の知見や法則はそのような新たな課題に対し、具体的な情報を提供することになります。また、そもそも人類が病気に煩わされるようになった過程も進化学が明らかにしてくれます。それは治療や生活習慣の見直しに、活かされることであろうと思っております。そのようなわけで次のような研究に取り組んでいます。

Keywords

 Diversity, Polymorphism, Database, Pre-mRNA splicing, Gene expression, Human evolution, Primates, Glutamine repeat, Population Genetics

研究テーマ

◎脳内選択的スプライシングの人類進化における意義の解明

グルタミン単純配列(ポリグルタミン)の反復長の特徴と進化
 私は以前、ヒト遺伝子統合データベースH-InvDB(H-InvDB project)の構築プロジェクトに参加しており、とくに遺伝子多型のデータの情報集約とデータベース化の役割を担当しておりました。多細胞生物のゲノム配列には同一の配列モチーフの繰り返しからなる縦列反復配列と呼ばれる配列があります。その中でも1から5塩基程度の短いモチーフを反復単位とする短反復配列(STR、SSRやマイクロサテライトとも呼ばれる)は反復数が変化しやすく、その配列が重要な機能を担っていなければ、様々な反復長のタイプ・型が人類集団内に存在するようになります(多型)。このようなSTRの多様性は、DNA型個人判定に早くから利用されてきました。本研究開始当時、私たちはアミノ酸に翻訳されるゲノム領域にあるSTR配列座位がそれぞれ如何にして多様化し維持されているのか、統一的な視点で理解するため、多型の有無や反復長を互いに比較しました(Shimada et al. 2016;プレスリリース)。その結果、CAGやCAAの反復によってコードされるグルタミン反復(ポリグルタミン; polyQ)では、長い反復が多い傾向があり、特に反復数に多型のあるpolyQではこの傾向が顕著でありました。
polyQ repeat length
全ての単一アミノ酸反復(全)およびグルタミン反復(Q)の遺伝情報に対応する座位におけるヒトゲノムでの反復回数の分布。中央値は太線で、ポリグルタミン病責任反復座位での反復回数は赤い三角形で示してある。

問い
 明らかになった、ヒトゲノム中の約280カ所(座位)のpolyQのうち、反復多型ありと判定された約50のpolyQ座位には神経変性疾患ポリグルタミン病を引き起こすことが知られている9座位すべてが含まれました。ポリグルタミン病はpolyQの反復長が異常に長くなることで発症する疾患の総称で、長い反復を受け継いだ人が起こしやすいといわれています。これら9座位はいずれも約50座位の多型polyQのうち反復長の上位50%に入っています。ということは、これらポリグルタミン病の原因となるpolyQは発症のリスクがあるにもかかわらず、反復長が長い傾向を維持しているということになります。何かそのリスクを上回る利益があるのでしょうか。
polyQ反復多型を含む遺伝子に特徴的な機能
 polyQ配列そのものの性質として、タンパク質や核酸と結合することを私たちの解析で示しました。これは、単独では決まった立体構造をとらず、他の高分子との間で相互作用の場として近年注目されている天然変性領域の性質です。この性質のゆえ、polyQ配列をもつ遺伝子はpolyQ反復多型の有無にかかわらず、転写調節、その他核酸関連に関わる反応に関わっていることもわかりました。さらに、反復多型のあるpolyQを持つ遺伝子(多型polyQ遺伝子群)だけに神経発達やその調節および細胞死に関わる働きがあることもわかりました。神経系発達過程においてはProgrammed Cell Deathと呼ばれる細胞死が大量に生じることが知られていますので(Yamaguchi Y. & Miura M. 2015)、神経系発達が上述の多型polyQパラドックスに密接に関わっていると考えられます。
脳内でさかんな選択的スプライシング
 そこで、脳・神経系の細胞における遺伝子発現について考えてみました。脳は精巣に次いで組織特異的な発現や選択的スプライシングが多いことが知られています(Hestand MS. et al. 2015)。
ポリグルタミン(polyQ)配列はスプライシングに密接に関連
 polyQ配列に結合するタンパク質の中に、スプライシングで働くRNA-タンパク質複合体と相互作用することが知られたPQBP1があります(Mizuguchi M. et al. 2014)。神経突起発達を担っているNCAM1遺伝子のスプライシングにPQBP1の選択的スプライシング調節機能が必要であることがマウスの実験によって示されました(Wang Q. et al. 2013)。これらのことから、多型polyQ遺伝子群に神経発達関連機能を担う遺伝子が多い理由の一つは、脳特異的な選択的スプライシングに関係するのではないかと私は考えています。  選択的スプライシングは一つの遺伝子から複数の転写物(スプライス変異体)を産生することになるので、ゲノムの変化を伴わずに多様なスプライス変異体を生み出すという面があります。例えば、neurexin(ニューレキシン)には何千というオーダーのスプライス変異体が作られ、様々な種類のシナプス構築に携わっています(Treutlein B. et al. 2014)。
選択的スプライシングの霊長類・人類進化における意義
 かねてより、ヒトは形態学的、認知行動学的な特徴からの期待に反して、遺伝学的にはチンパンジーと約1%のゲノム(遺伝情報)の違いしかない近縁であり、ニホンザルが属するマカク属サル内の間での違いと同等程度の違いといえます(Pozzi L. et al. 2015; Liedigk R. et al. 2015)。選択的スプライシングは小さなゲノム変化から大きな表現型の違いを生み出すメカニズムですので、ヒトの脳における選択的スプライシングには進化学者も注目しているのです。
STR tuning knob仮説
 polyQのような繰り返し配列の反復回数の変化は、そこに因子が結合することで調節される転写やスプライシングの結果に影響を与えると考える仮説があります(反復配列の調節つまみ仮説:King DG. 2012; Nithianantharajah J. & Hannan AJ. 2007; Fondon III JW. et al. 2008)。多型polyQのうち、ポリグルタミン病の原因となるpolyQ反復座位では、類人猿と比べ人類では反復多型の多様性が著しく高い、すなわち健常人の間でさえ反復長の幅が著しく広い座位があることが知られています(Andrés AM. et al. 2004)。反復配列の調節つまみ仮説によると、ポリグルタミン病の原因となるpolyQ反復では類人猿にはない人類の特徴を作り出すことに関係することも考えられます。
本研究における仮説
 そこで、私は、「グルタミン反復長の多様化は人類集団内の脳・神経系関連の表現型を多様化する進化に密接に関係している」のではないか、と考えています。すなわち、個性を含む集団を作り上げる進化を遂げた、人類は分業社会を構築することで、危険を回避しつつも新天地へ進出し、最終的には高度な文化・文明社会へ至ったのではないか。そのことが先に述べたリスクを上回る利益となっていったのではないか、と考えています。
仮説検証に向けて(研究戦略・研究方法)
 そこで本研究では、次の2点を明らかにしようと研究を進めています。
◎polyQ長の差(変異)はどんな違いとしてあらわれるのか?
◎ポリグルタミン病の原因となるpolyQ(あるいはCAG)反復と相互作用するどのような分子がどのように個性を生み出すのか?