「藤田記念生薬研究所」は、「本学園創設者藤田啓介総長の趣旨を体して、その研究を継承し、大学の発展に寄与する」(藤田記念生薬研究所規程第2条)ことを目的として平成10年4月1日に、その前身である「生薬研究塾」が一部改組され名称も藤田記念生薬研究所となった。

生薬研究塾は、本学の創立者である総長故藤田啓介先生が、医学部認可後2年弱の昭和 48 年 (1973年) に当地、三重県久居市の七栗校地に開設され、平成7年 (1995年) 6 月 11 日に急逝されるまで塾頭を務められた。藤田啓介先生の逝去後、平成7年10 月1日から、生薬研究塾は「総合医科学研究所・藤田記念生薬研究塾研究部門」と名称を改め、生薬研究塾開設当初より、研究に深く関与されてきた総合医科学研究所所長永津俊治教授(分子遺伝学研究部門)が主任教授を兼務された。ついで平成10年4月1日より藤田記念生薬研究所として再出発することになり、大学卒業後間もなくより藤田啓介先生の薫陶を受けた総合医科学研究所・前分子生物学研究部門葛谷博磁教授が所長に就任した。

生薬研究塾では、開設当初は衛生学部、短期大学の若手教員や病院臨床検査研究部の若手職員が、豊明校地から交代で往復する形で医学部、衛生学部、短期大学の諸先生の協力を得ながら、藤田啓介先生のもとでの研究に没頭した。昭和 50 年 (1975年) からは生薬研究塾専任の教員が加わり、研究活動が拡大、加速された。この間、これまでに 800 人を越える研修生および衛生学部衛生技術学科と短期大学の卒論実習学生が3〜6カ月間、藤田啓介先生と寝食を共にして研究三昧の日々を送ってきた。この地は単に研究の場のみでなく、総長故藤田啓介先生の思索の場でもあり、生薬研究塾時代は新入生のキャンプが行われ、親睦と本学の教育理念涵養の場でもあった。なお学校・学部によっては、現在も新入生による七栗校地の見学は行われている。

藤田啓介先生業績集