OGOB INTERVIEW

藤田医科大学 卒業生インタビュー仕事で大切にしていること、
なんですか?

看護師

INTERVIEWvol.015

自分が患者だったら、家族だったらどうしてほしいのかを常に心に留めながら

田浦 幸SACHI TAURA

藤田医科大学病院 A-5N病棟(消化器センター) 看護長

衛生看護学科(現看護学科)/ 2005年卒業

取材日

DESCRIPTION

看護師の仕事は大変そう。自分にはできない──ずっとそう思っていたという田浦さん。大学入試では、周囲に勧められるままに看護学科を受験したものの、なりたかった保育士への思いを捨てきれず、入学手続きの締め切り間際まで進路に悩んだ。「結局、自分で選べなくて、最後は家族に決めてもらったんですよ」と笑う田浦さんだが、迷いながら踏み出した看護師の道も気づけば20年。2024年4月からはA-5N病棟の看護長を務めている。選んだ道に後悔はなかったのかと聞くと、「今では良かったって思えます。だって毎日、いろんな出会いや気づきがあって、同じ日が一日もないんですよ。知るほどにやりがいのある仕事だと感じますね」と胸を張る。そんな田浦さんの印象を病棟のスタッフに聞くと、「患者さんに対しても私たちに対しても常に誠実。大変な時でも笑顔を欠かさず、一生懸命な姿を見ていると、私たちも頑張ろうという気になります」という答えが返ってきた。自信を持てなかったあの頃、まさか自分がこんなふうに誰かの背中を押す存在になる日が来るとは想像もしていなかったに違いない。

話し掛けやすい存在でありたい

─この病棟には、どのような病気の患者さんが入院されているんでしょうか?

ここは消化器内科がメインの病棟になります。抗がん剤や内視鏡での治療、検査など、急性期から終末期まで幅広い患者さんが入院されています。

─田浦さんは、看護長になられたばかりとお聞きしました。

2024年4月からの新米看護長です(笑)。仕事内容は、現場での指揮や人材教育、職場環境の改善、スタッフの勤務調整など病棟の運営全般になりますが、まだまだわからないことが多いので、スタッフみんなに支えてもらっています。

─昇進すると聞いた時の心境はどうでした?

主任を1年しか経験していないので、本当にびっくりしました。前任の看護長に「私じゃムリです!」って訴えたんですけど、「何年主任をやったって、その不安は一緒だよ」って背中を押してくださって。「もうやってみるしかない!」と覚悟を決めた感じですね。

─悩んだ時に相談に乗ってくれる人がいるのは、ありがたいことですよね。

大学卒業後、藤田医科大学病院に就職してから今まで、上司や先輩に恵まれてきたと感じます。ちゃんと話しを聞いてくれ、サポートしてくれる方ばかりでした。私は子どもが3人いるんですけど、皆さん、仕事と家庭・子育てを乗り越えてきた方たちなので、今も何かと気にかけてくれますし、自分もそういう先輩になりたいと思います。

─先ほどから見ていると、その方々と同様に田浦さんがスタッフの皆さんから慕われているのがよくわかります。

ほんとですか!うれしいです。うちの病棟は若いスタッフが多いので、話し掛けやすい存在でありたいとは思っています。「質問したいけど、忙しそうだし」っていう遠慮が事故につながることもあるので…。おかげでみんなじゃんじゃん聞いてきます (笑)。もちろん患者さんの安全が守れない時とかは、ビシッ!と言いますけどね。

─田浦さんの人柄なんでしょうね。

そうなのかなぁ(笑)。ただ以前、後輩から手紙をもらったことがあるんですけど、そこに私のことを「明るくて元気をくれるヒマワリのような人」って書いてあったんです。お世辞かもしれないけど、「そんな風に思ってくれていたんだ」って、すごくうれしくて。

─そんな手紙もらったら感動しますよね。ところで田浦さんは、これまでずっと病棟を担当されてきたんですか?

はい、診療科はいろいろと変わりましたが、入職してからずっと病棟勤務です。外来だと多くの患者さんに対応しますが、病棟は患者さん一人ひとりとじっくり向き合っていけるので自分には合っているのかなって思います。

─じっくり向き合うために、どんなことを心掛けていますか?

「自分が患者だったら、家族だったらどうしてほしいか」ということでしょうか。例えばベッド周りが乱れていたり、爪や髭が伸びているような状態だったら、私が家族なら「ちゃんとケアしてもらってないのかな、大丈夫かな?」と心配すると思うんです。そういうちょっとした変化にも気づける目配り、相手側に立った気配り・心配りをスタッフ全員が当たり前にできるよう、常にスキルアップしていきたいですね。

─なるほど。では一番やりがいに感じるのはどういう時ですか?

やっぱり患者さんの体調が回復したり、笑顔で退院される時ですね。「ありがとう」って言っていただけると、この仕事をやっててよかった、もっとがんばろうって思えます。

仕事の楽しさを知った大学病院での看護実習

─出身は愛知県ですか?

実家は岐阜の田舎で、父と母が共働きだったので、おじいちゃん、おばあちゃんと過ごすことが多かったですね。小さい頃は、畑やいちご農園の手伝いもしていました。大家族だったので、いろんな大人に支えられながら育ったのはすごく幸せだったと思います。

─すてきな環境ですね。その頃から看護師をめざしていたんですか?

いえ、全くです(笑)。母が総合病院で歯科衛生士をやっていたので病院は身近な存在でしたが、曾祖母が入院したときに献身的に働く看護師さんの姿を間近で見て、「自分には無理だ」と思っていましたから。なりたかったのは保育園の先生ですね。実際に中学の職場体験も保育園に行きました。

─そこから気持ちが変わったのはなぜですか?

高校3年の担任や母は「看護師に向いているんじゃない」って言ってくれていたんですけど、自分じゃわかんないじゃないですか。ただ、人と関わる仕事に就きたかったし、高校が理系のクラスで看護師志望の子が多かったというのもあって、将来的なことを考えた時に看護師もいいかなって思いはじめるようになって。でもやっぱり保育への思いを諦められず、看護学科だけでなく保育系の大学も受験したんです。それが合格したもんだから、余計に迷っちゃって。十数年生きている中で、一番悩みましたよ(笑)。最後は、私がなかなか決められないことをわかっている家族が「看護の方に行ったら」って後押ししてくれた感じですね。

─それで本学に?

調べていくと保健師という資格があることを知って、それなら保健師と看護師の両方を学べる大学へということで本学を受験しました。本当は実家から通える大学が良かったんですけど、当時は岐阜だとあまり選択肢がなくて…。親戚が本学で事務をしていたことや、祖父の兄弟が入院していたこともあり、家族が「藤田はいいところだよ」とよく言っていたので、そういう評判を聞いていたのも大きかったですね。

─最初は保健師をめざしていたんですね。

そうなんです。どうしても看護師は無理だという思いがあって…。ただ学生時代、患者さんと関わった看護実習がすごく楽しかったんです。それで結局、看護師の道を選びました。

─挑戦して初めてその楽しさを知ったんですね。看護の場合、進学先は専門学校という手もあったと思いますが、希望は4年制大学だったんでしょうか?

オープンキャンパスなどでいろいろな学校を見させてもらって、4年制大学の方に魅力を感じたというか、しっかり学べそうに思いました。大学生活っていうのに憧れもありましたし。

─実際に入学されてどうでしたか?

勉強や実習は大変でしたが、当時の看護学科は40人と少なかったせいかクラスの仲がとても良く、「みんなで頑張ろう!」って、教え合ったり、助け合ったりして乗り越えていく感じでした。医療系でない大学に通っている友達と比べたら忙しい毎日でしたが、看護師になるという同じ目標を持つ仲間に囲まれていることは心強かったし、振り返ると充実した学校生活だったなぁ、って思いますね。

─とくに印象に残っている講義や実習ってありますか?

一年次の手洗いのテストですね。まさか手洗いに緊張する日が来るなんて思いもしませんでした(笑)。手の菌を洗い流す「衛生的手洗い」というのを手順に沿ってやるんですが、うまくできなくて。手を洗うという行為一つとっても、看護ってそういうことなんだ、ちゃんとやらなきゃって、強く自覚した瞬間でしたね。

─初めて患者さんに接した時のことは覚えていますか?

実習のときに体を拭かせていただいた脳梗塞の女性患者さんは、すごく優しくて、いろいろなことを話してくれる方でした。患者さんの心の中というのは、学校の勉強だけではわかりません。どんな思いで入院生活を送り、どんな不安を抱えているのか。この経験は、患者さん一人ひとりとしっかりコミュニケーションをとることが、いかに大切なのかを知るきっかけになりました。

─実習は、大学の敷地内にある藤田医科大学病院でやるんですよね。

ほとんどはそうですね。最先端の大学病院が同じ敷地内にあり、そこで実習ができる環境は本当に恵まれていると思います。私の友人は、附属病院がない短大の看護学部に進んだので、とにかく実習先への移動が大変とこぼしていましたから。毎日のことなので移動に時間をとられないのは体も楽ですし、とくに今は、私たちの学生時代に比べて施設もきれいになっていてうらやましいです。

患者さんとスタッフのために、眼の前のことを一生懸命やっていきたい

─先生との思い出話なども聞かせてください。

学生と先生の距離がすごく近くて、親身になって相談にのってくれる先生が多かった印象ですね。一方で、身だしなみ、挨拶、礼儀には厳しかった(笑)。看護師は相手への配慮が欠かせない仕事だから、そういう基本的なことがどれだけ大切なのかを学生時代にしっかり学ばせていただいたのは、とても良かったと感じます。学生時代にお世話になった先生方が今でも声をかけてくださったりすると、何だかほっとしますね。それに藤田医科大学病院の場合、規模が大きいので実習で受け入れている学生の数も多く、教える側もそれだけ経験値が高いわけですよ。だから指導もきめ細かく、丁寧というか、そういう指導陣がそろっているのは、本学の強みでしょうね。

─在学中に先生や先輩から言われて今でも覚えている言葉はありますか? 

基礎看護学分野の実習で、先生に「なぜそうするのか、一つひとつ根拠をもって考えなさい」と言われたことが記憶に残っています。どんな援助でも看護の視点で根拠を持ってやれば、それが看護師の仕事になると。それからは、患者さんをケアする場合でも、なんでこうするんだろう?と友人と話し合ったり、先生の考え方を聞いたりしていましたね。

─田浦さんの病棟でも学生さんの実習指導を行っているんですよね。

はい。本学の看護学生だけでなく、いろいろな学校の看護実習を受け入れています。私も看護長になる前まで、10年以上、学生さんの実習指導をしてきましたが、どのように説明すると学生さんがわかりやすいのかは、どうしても考えちゃいますね。やっぱり楽しみながら学びを深めてほしいし、この病棟に実習に来てよかったと思ってもらいたいので。

─指導するって難しいですよね。

そうなんです。人によって教え方が違うと学生さんも迷うだろうし…。それで、学生の実習指導を系統的に学びたいと思って6年ほど前に、看護実習の指導者講習会に参加しました。講習会では、朝8時半から17時まで週の半分ぐらい講義があって、半年ほどかけて学生指導のスキルを学ぶんです。仕事をしながらなので大変でしたけど、教室で勉強するのは学生時代のようで懐かしかったし、すごく身になったと思います。

─看護師を辞めたいって思ったことはないですか?

ないですね、いやあるのかな…? (笑)。嫌だなって思うことはあっても、辞めたいということはないですね。看護師って命と向き合う中で、喜び、悲しみ、感動…いろんなことを経験するんですよ。振り返ると本当に同じ日が一日もなかったと感じますし、それだけにやりがいが大きいんですよね。

─休日はどう過ごされているんですか?

子どもが3人いるので、習い事の送り迎えやショッピングに出かけることが多いかな。あとはピアスとかアクセサリーが好きなので、クリエイターズマーケットみたいなところに行ったり。

─それは楽しそう。ストレス解消になりますね。

あとはピアノですね。20歳ごろまでやっていたんですけど、結婚・出産してからは鍵盤にふれることもなくなって。たまたま子どもが合唱コンクールで指揮をすることになったんで、その練習のために弾いてみたら、意外に指が動いたんですよ。それで楽しくなっちゃって、昔の楽譜を引っ張り出してきては、がんがん弾いて気分転換しています(笑)。

─今後の目標を教えてください。

今は看護長になったばかりで、大きな目標を掲げる余裕がないというのが本音です。患者さんが安心して治療に専念できるよう看護の質を上げること、そしてスタッフが笑顔でいきいきと働ける環境をつくること、この2つを柱にとにかく眼の前のことを一生懸命やっていきたいと思っています。

─最後に、受験生にメッセージを!

私のように看護師になりたいと思っていなくても、頭の片隅に「看護師もいいかな?やってみようかな?」という気持ちが少しでもあるなら、ぜひ挑戦してください。本学で看護を学ぶと、さらにその魅力を感じられると思います。たくさんの出会いがあり、たくさんの経験ができる、とてもやりがいのある仕事ですよ。

私の相棒

バインダーノート

管理者としてやらなきゃならないことや手続きの方法など、看護長の仕事をひたすら書きとめた一冊です。何度も教えてもらうのも申し訳ないですし、スタッフからの質問にもすぐ答えられるように、持ち歩いています。なくなったら?泣きます(笑)。最初の頃は不安で仕方なかったので、毎日、夜中まで付箋やマーカーを使ってあれこれ書きこんでいました。一年が経ち、業務面は少しだけ慣れた気がしますが、早くこのバインダーがなくてもできるようにならなきゃ、ですね。

バインダーノートは、必要な情報がすぐに取り出せるよう、いくつものインデックスが貼られていた。「こんなにたくさんの仕事があるんですね」と聞くと、「そうなんですよ、いつになったら全部覚えられるんだろう」と笑うが、厚く膨らんだノートからは田浦さんが真摯に努力してきた日々がうかがえる。迷いながら踏み出した一歩は、今、しっかりと地に根を張り、力強く患者さんと仲間たちを支えている。