プレスリリース

抗がん剤による「聞こえの障害」に救世主!? IGF1が難聴を防ぐ新たな可能性を発見

藤田医科大学耳鼻咽喉科・頭頸部外科学の山原康平講師らの研究チームは、京都大学との共同研究により、抗がん剤「シスプラチン(CDDP)※1」の重大な副作用である難聴に対して、生理活性物質である「インスリン様成長因子1(IGF1)※2」が難聴の発症を防ぐ効果を持つ可能性を初めて明らかにしました。
研究では、マウスの内耳を使った実験で、甚大な聴力障害を引き起こすことで知られるシスプラチンにIGF1を同時に投与したところ、「音を感じる細胞」である外有毛細胞※3が高い割合で守られることが確認されました。
この成果は、将来的にがん患者さんへのシスプラチン治療にIGF1を併用することで、治療による難聴を予防できる可能性を示しています。
本研究成果は、学術ジャーナル「Hearing Research」(2025年4月23日付けオンライン版)に公開されました。
 

研究成果のポイント

  • がん治療で使われる抗がん剤「シスプラチン(CDDP)」は内耳の細胞を傷つけて難聴を起こすことがありますが、「IGF1」という物質を使うことで、こうした細胞がほぼ完全に守られることを明らかにしました。
  • IGF1が耳の細胞を守る仕組みとして、CDDPによって耳の中に生じる“有害な酸化ストレス※4”を抑え、細胞が死んでしまうのを防ぐ働きがあることを証明しました。
  • これまで、CDDPによる“聞こえの障害(感音難聴※5)”に対する効果的な治療法はありませんでした。IGF1はすでに他の病気で安全に使われている薬でもあるため、今後、がん治療に伴う難聴の予防薬としての実用化が期待されます。


背景

シスプラチン(CDDP)は、がんの治療によく使われる抗がん剤の一つで、大人だけでなく子どもにも広く使用されています。しかし、この薬には副作用として内耳組織が傷害を受けて起こる感音難聴があり、特に子どもはこの副作用を受けやすいことが分かっています。
CDDPによる難聴は、最初は高い音が聞こえにくくなることから始まり、薬の使用が続くと日常会話に必要な音域にも影響が出てきます。現在、この難聴を予防できる決定的な治療法は存在しません。特に小児では、難聴が学業や社会的な発達に悪影響を与えるため、大きな問題となっています。
そこで注目されているのが、IGF1というホルモンです。これは体内にもともと存在し、内耳を含めた体内の細胞の成長や生存に重要な働きを持つ物質で、特に内耳の細胞をさまざまな傷害から守る効果があることが、動物実験などで示されています。実際に、IGF1は別のタイプの感音難聴である突発性難聴に有効であることが示されています。
ただし、IGF1がCDDPによる難聴を防ぐ効果があるかどうかについては、まだはっきりしていません。そこで本研究では、IGF1がCDDPから耳の細胞を守るかどうかを調べました。

研究手法・研究成果

(1)IGF1はCDDPによる外有毛細胞傷害に対して保護作用を持つ
CDDPによる内耳へのダメージをIGF1が防げるかどうかを調べるために、マウスの内耳の組織を使って実験を行いました。その結果、IGF1を一定の濃度(5マイクログラム/ミリリットル)で加えると、聴力に重要な細胞である「外有毛細胞」がCDDPのダメージから守られることが分かりました。



 
(2)IGF1はCDDPによる細胞内の酸化ストレス発生を抑制する
CDDPによる聴力障害の原因の一つに「酸化ストレス」があります。これは、内耳において活性酸素(細胞を傷つける物質)が過剰に発生し、細胞を守る抗酸化物質が減ってしまうことで起こります。私たちは、IGF1がこの酸化ストレスをやわらげるのではないかと考えました。
そこで、IGF1が内耳に与える影響を調べるために、シスプラチン投与後の組織で抗酸化力の指標となる「GSH/GSSG比」という数値を測定しました。その結果、シスプラチンだけを投与した場合には、この比率が通常の約半分にまで低下しましたが、IGF1を同時に加えることで、約70%まで回復することが分かりました。
このことから、IGF1がシスプラチンによって引き起こされる酸化的なダメージを軽減し、内耳を守る効果があることが示唆されました。

(3)IGF1はCDDPによる細胞死を抑制する
CDDPによって発生する酸化ストレスは、細胞の「自滅」反応(アポトーシス)を引き起こし、内耳の細胞を死なせてしまいます。私たちは、IGF1がこのアポトーシスを防げるかどうかを調べました。CDDPだけを投与した場合に多くの細胞に細胞死が確認されました。一方、IGF1を使った場合は、ほとんど細胞死が見られませんでした。これにより、IGF1がCDDPによる細胞死を防ぐ働きがあることが示されました(caspase 3(緑):アポトーシスのマーカー)


今後の展開

これらの結果から、IGF1というホルモンを使った治療法が、CDDPによる内耳の傷害を防ぐ新しい
方法になり得ることが示されました。今後は、実際の動物を使った実験で、IGF1の投与が耳の中の
細胞を守り、聴力を保つ効果があるかどうかを詳しく調べていく予定です。

用語解説

※1. シスプラチン(CDDP)

がんの治療に使われる抗がん剤の一種で、多くのがんに効果があります。ただし副作用として、耳の細胞を傷つけて聴力が低下することがあります。

※2. インスリン様細胞成長因子1(IGF1)

インスリンとよく似た構造を持つタンパク質分子であり、細胞の成長、分化などを促進します。内耳の細胞発生や維持を促進し、また傷害から内耳を保護する作用が知られています。

※3. 外有毛細胞

耳の奥にある「内耳」の中に存在する細胞で、音を聞き取るために重要な働きをします。音の振動をとらえ、増幅することで、私たちが小さな音や細かな音の違いを感じ取れるようにしています。これらの細胞が壊れると、聴力が低下します。

※4. 酸化ストレス

体内で「活性酸素」と呼ばれる有害な物質が増え、細胞を傷つけてしまう状態です。病気や老化、薬の副作用などによって引き起こされます。

※5. 感音難聴

内耳や聴神経の障害によって音が正しく伝わらなくなる難聴です。加齢や大きな音、薬の副作用などが原因になります。

文献情報

論文タイトル

Insulin-like growth factor 1 protects cochlear outer hair cells against cisplatin

著者

山原康平1)、大西弘恵2)、中川隆之2)、大森孝一2)、山本典生2)

所属

1)藤田医科大学耳鼻咽喉科・頭頸部外科学 2)京都大学大学院医学研究科耳鼻咽喉科頭頸部外科

DOI

10.1016/j.heares.2025.109287


FOLLOW US

公式SNSアカウント