「七栗」という古い地名

藤田医科大学の第三教育病院は、三重県津市にある七栗記念病院である。
昭和62年(1987)に七栗サナトリウムとして開設され、現在はリハビリテーション医療や緩和ケアなどを特色とする病院となっている。
病院があるのは津市大鳥町424番地1。「七栗」という住所ではない。それでは、なぜ七栗記念病院というのだろう。


実は「七栗」は、このあたりに古くから存在した地域の名称である。
現在の大鳥町を含む一帯は、かつて「七栗郷」と呼ばれていた。
したがって七栗記念病院という名前には、現在の町名よりも古い地域名称が残されていることになる。
もっとも、「大鳥」という現在の地名も気になるところである。
大鳥は近世以来の村名として確認でき、のちに現在の大鳥町へとつながっていく。
ただし、「なぜ大鳥と呼ばれるようになったのか」という地名そのものの語源については、今のところ確かなことはわからない。
地名を考える際には、わからないものはわからない、としておくことも大切だろう。

さて、「七栗」という名前を聞いて、古典文学に詳しい人なら、何か思い出すかもしれない。
『枕草子』の伝本の一部には、名湯を列挙した有名な一節がある。

「湯は、ななくりの湯、ありまの湯、たまつくりの湯」

有馬温泉、玉造温泉と並んで「ななくりの湯」が挙げられている。
この七栗の湯が、現在の榊原温泉にあたると考えられている。
ただし、当時の貴族はめったに京都の外に出ることがなかったので、清少納言自身が七栗の湯を訪れて感嘆した、というわけではなさそうだ。

現在の榊原温泉は、七栗記念病院からもほど近い津市榊原町にある。
そして、この「榊原」という地名にも面白い伝承が残されている。
榊原温泉振興協会によれば、この地域は古く「七栗上村」と呼ばれており、一帯には榊が多く自生していたという。
およそ1500年前、継体天皇の皇女が斎王となった際、この地の榊を伊勢神宮へ献上するようになったため、「榊が原」と呼ばれ、それが「榊原」という地名になったと伝えられている。
もちろん、これはあくまで地元に伝わる地名由来の伝承である。
しかし伊勢神宮に近い土地であり、しかも斎王や伊勢参宮との関係が深い地域であることを考えると、いかにも伊勢らしい地名伝承ではある。

こうして見ると、「七栗」という病院名から、ずいぶん遠い昔まで話が広がっていく。
現在の地名は大鳥。その近くには榊原という地名があり、そこには古くから名湯として知られた温泉がある。
そして、それらを包み込む古い地域名称が「七栗」だった。
藤田医科大学七栗記念病院という名前は、単に病院につけられた名称ではない。]
現在の地図からは少し見えにくくなった、この土地の古い記憶を今に伝えているのである。
2026.9

「ばんたね病院」の「ばんたね」とは何だろう

 藤田医科大学には、豊明市にある藤田医科大学病院のほか、名古屋市中川区に「藤田医科大学ばんたね病院」がある。
 「ばんたね」とは、何とも不思議な名前である。この連載では藤田学園に関係する土地の地名について考えていくつもりなのだが、実は「ばんたね」は地名ではない。けれども藤田学園の歴史を考えるうえで面白い名前なので、今回は少し寄り道をして、この名前の由来について紹介してみたい。
 ばんたね病院の前身は、昭和5年(1930)に開設された「財団法人坂文種(ばん・ぶんたね)報徳会病院」である。この財団の創始者が坂文四郎(ばん・ぶんしろう)という人物で、その妻が坂た祢(ばん・たね)であった。
 文四郎は金融や不動産に関係する事業によって財を築いた人物だったとされるが、単に財産を蓄えるだけの人ではなかった。生前から社会事業に関心を持ち、自分の死後には、残った財産を社会救済のために役立てるようにとの遺志を残した。
 文四郎が亡くなった後、その意思を受け継いだのが妻のた祢である。た祢は夫の遺志を実行するために財産の大半を提供し、大正14年(1925)、財団法人坂文種報徳会を設立した。
 ここで大切なのは、「坂文種」という一人の人物がいたわけではないということである。創始者である坂文四郎と、その志を継承した妻の坂た祢。夫婦二人の存在が「坂文種報徳会」という名称の背景にある。
 報徳会が特に力を入れた事業の一つが医療救済だった。当時は、現在のような国民皆保険制度は存在しない。病気になっても経済的な理由から十分な治療を受けられない人たちが少なくなかった。そこで昭和5年、そうした人々を救済することを目的として坂文種報徳會病院が開設されたのである。
 その後、報徳会は医療だけでなく、保育や育英、社会福祉などにも事業を広げていった。そして昭和46年(1971)、藤田学園が医学部を設置するにあたり、報徳会は病院の敷地と建物を提供し、病院の運営を藤田学園に移した。こうして「ばんたね」は藤田学園の歴史の一部となった。
 現在の正式名称は「藤田医科大学ばんたね病院」である。「ばんたね」という柔らかな響きだけを聞けば、何か古い地名のようにも思える。しかし、その背後には、明治・大正期に財を築いた坂文四郎と、その遺志を実際の社会事業へと発展させた妻た祢の物語があった。
 地名ではない。それでも「ばんたね」という名前には、この地域で人々を助けようとしてきた人たちの歴史が刻み込まれているのである。

2026.8

【参考文献】

  • 坂文種報徳会編『財団法人坂文種報徳会50年の歩み』坂文種報徳会、1975年。
  • 宇都宮みのり「坂た祢(ばん・たね)の社会事業とその歴史的意義——社会事業形成期における坂文種報徳会の設立過程に焦点を当てて——」『社会福祉研究』27、愛知県立大学、2025年。

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