プレスリリース

精神・神経病態解明センター 山下貴之教授らの研究成果が国際生物学学術誌「Current Biology」に掲載されました

精神疾患の診断・治療や
動物の感情の読み取りに応用できる可能性
報酬が表情を変化させる神経メカニズムを解明

ヒトが嬉しいときに微笑むように、動物にも感情を表す顔の動きがあるのでしょうか。藤田医科大学医学部および精神・神経病態解明センターの山下貴之教授と吉本潤一郎教授、中野高志准教授らを中心とした共同研究グループは、マウスを用いて、報酬が引き起こす顔の動きに関連する神経メカニズムを世界で初めて明らかにしました。本研究グループはさらに、報酬の予期と獲得それぞれに伴う顔の動きの2種類を同定し、それぞれの神経機構の一端を解明しました。これらの顔運動は報酬に伴う表情変化に関わると考えられ、本研究成果は動物の感情の読み取りや各種精神疾患における診断技術の開発に応用されることが期待されます。
本研究成果は、米国の国際生物学学術誌「Current Biology」(8月21日号)で発表される予定で、それに先行してオンライン版が2023年8月3日午前0時(日本時間)に公開されました。

研究成果のポイント

  • 脳の報酬情報処理に関わる中脳ドーパミン神経細胞*1を活性化すると、マウスの顔運動が生じることを世界で初めて発見しました
  • マウスが報酬を予期した場合と報酬を獲得した場合で、異なる顔運動が誘発されることを証明しました
  • これらの異なる顔運動を駆動するには2つの脳内情報シグナル経路が関わっており、どちらの場合も大脳皮質一次運動野*2が必要であることを解明しました
  • 本研究成果は、動物の感情の読み取りや精神疾患患者における診断技術の開発に応用されることが期待されます


背景

子どもがプレゼントの箱を開ける前に見せる期待感あふれる表情や、プレゼントの内容に満足した時に見せる喜びの表情は、一体なぜ、どのようなメカニズムで生じているのでしょうか。学習タスク*3を行っているマウスなどの実験動物でも、報酬を予期したり獲得したりした際に顔を動かすことは以前から知られていました。ところが、ヒトでも実験動物でも、報酬に対する反応として表れるこれらの顔運動がどのような神経機構によって生じるのか、その詳細はまだ明らかにされていませんでした。

研究手法・研究成果

本研究では、マウスを用いて、報酬情報処理に中心的な役割を果たすとされる中脳腹側被蓋野(VTA)*4のドーパミン神経細胞を光遺伝学*5という手法で特異的に刺激しました。その結果、ドーパミン神経細胞の活性化によりマウスの顔、特にヒゲ(洞毛と呼ばれる) や鼻の運動が誘発されることを発見しました(図1)。また、報酬に基づく学習タスクを遂行中のマウスの顔運動を高速ビデオ撮影し、機械学習を使った解析を行ったところ、報酬の予測と獲得に対応した2つの異なる顔運動パターンが存在することが分かりました。
本研究グループは、さらにこれらの報酬関連顔運動のメカニズムを調べました。VTAのドーパミン神経細胞から生じる信号経路の一部である側坐核*6におけるドーパミンD1受容体*7を薬剤で阻害またはノックアウト*8したところ、報酬獲得に伴う顔運動が消失しました。しかし、報酬予測に対応する顔運動は影響を受けませんでした。したがって、これらの顔運動は、側坐核のD1受容体を介する信号経路と、D1受容体を必要としない別の信号経路によってそれぞれ駆動されていると考えられます。次に、顔運動の制御に関与すると考えられている大脳皮質一次運動野を抑制したところ、報酬予測と獲得の両方に対応する顔運動が消失しました。つまり、これら2つの信号経路は最終的に大脳皮質一次運動野に収束していると考えられます(図2)。本研究グループが大脳皮質一次運動野から神経活動*9を記録したところ、報酬予測時の顔運動を表現する神経細胞と、報酬獲得時の顔運動を表現する神経細胞が別々に存在することも明らかになりました。



図1 マウスの横顔の写真(左)と顔運動量を色で表した図(右)
VTAのドーパミン神経細胞に光感受性のタンパク質を発現させて光照射により細胞を活性化した際(下)に顔の前部(鼻やヒゲ)の運動が見られた。光感受性のタンパク質を発現させない対照群(上)ではそのような運動は見られなかった。



図2 報酬を予測した時と報酬を獲得した時のマウスの顔運動とそれぞれの運動を駆動する脳内信号経路
VTA DA neurons: 中脳腹側被蓋野ドーパミン神経細胞、 NAc D1 neurons: 側坐核D1受容体発現神経細胞、 wM1: 大脳皮質一次運動野ヒゲ領域、 Sensory cortex: 大脳皮質感覚野
(本図はイラストレーターのウチダヒロコ氏が作成したイラストを元に山下貴之氏が編集したものです)


今後の展開

本研究の発見は、顔の動きが脳の内部状態とどのように連携しているかを解明する一助となります。これまで、ヒトや動物の感情を読み取る試みは主に静止画像の解析に頼っていましたが、本研究の成果を活用することで、高速撮影による顔運動の解析を通じて感情の把握が可能になるかもしれません。これは、言葉を話すことができないペットや家畜の感情を理解し、より適切な環境を提供する手段となり得ます。さらに、報酬関連のドーパミン神経はうつ病、薬物依存、パーキンソン病、統合失調症などの多様な精神疾患と関連しています。そのため、患者の顔の動きを観察することで、疾患の状態をより詳しく把握できる可能性があります。したがって、本研究の成果は、将来的には精神疾患の非侵襲的な診断や治療に寄与する可能性があります。

用語解説

※1 中脳ドーパミン神経細胞

中脳の一部に存在する神経細胞で、ドーパミンという脳内物質(神経伝達物質)を生成・放出する役割を持っています。ドーパミンは報酬や快楽を司る神経伝達物質として知られています。

※2 大脳皮質一次運動野

身体の運動を制御する脳領域です。具体的な動作の開始がここから指示されます。

※3 学習タスク

行動実験で、被験者(この場合はマウス)が特定の目標を達成するために行う活動または課題を指します。これにより、行動や学習のメカニズムを研究します。

※4 中脳腹側被蓋野(VTA)

中脳の一部で、多くのドーパミン神経細胞が存在します。報酬系や快楽系の神経回路に重要な役割を果たしています。

※5 光遺伝学

光を用いて神経細胞の活動を制御する新しい科学の手法です。特定の遺伝子を操作して、光に応答するタンパク質を神経細胞に組み込み、光を照射することで細胞の活動をコントロールできます。

※6 側坐核

脳の深部に位置する構造で、情動や記憶、報酬系の一部として知られています。

※7 ドーパミンD1受容体

ドーパミンが結合することで活性化するタンパク質で、脳のいくつかの領域に存在します。神経細胞の活動を調節し、行動や学習、記憶に関与しています。

※8 ノックアウト

遺伝子工学の手法の一つで、特定の遺伝子の機能を無効化(‟ノックアウト")します。これにより、その遺伝子がどのような役割を果たしているかを調べることが可能になります。

※9 神経活動

神経細胞(ニューロン)が情報を伝達するときに発生する電気的な信号、すなわち「活動電位」を指します。

文献情報

論文タイトル

Neural mechanisms underlying uninstructed orofacial movements during reward-based learning behaviors

著者

李婉茹1,2、中野高志1,3、水谷晃大、松原崇紀1、河谷昌泰1,2、向井康敬、檀上輝子1、伊藤日加瑠、相澤秀紀、山中章弘5、カール・ピーターセン、吉本潤一郎1,3、山下貴之1,3

所属

1 藤田医科大学 医学部
2 名古屋大学 大学院医学系研究科
3 藤田医科大学 精神・神経病態解明センター
4 大阪大学 蛋白質研究所
5 名古屋大学 環境医学研究所(研究当時)
6 香川大学 研究基盤センター
7 広島大学 大学院医系科学研究科
8 スイス連邦工科大学ローザンヌ校 Brain Mind Institute

DOI

10.1016/j.cub.2023.07.013